目の見ゆる 子に生れ来よ 盲目の 47

出典: Book


目の見ゆる 子に生れ来よ 盲目の 妻が小さき 靴下を編む

毎日新聞でみた歌です。作者の奥さんは、眼が見えません。それが小さな靴下をせっせと編みます。二つ並べても掌がまだ余るほど小さく可愛い。

身ごもったお腹に赤ちゃんが居て、やがて間ものう母となります。お腹の赤子の動きに、確かな命を感知して、母となる思いが満ちました。胸の裡を廻らしていろんな願いを貯えます。

眼の見えぬ手許に、母となる気持ちを寄せて、靴下を編みつぐ今が今、片時も離れぬ願いがある。不自由な眼で母となるには、”どうぞ、どうぞして、目の見ゆる子でありますように”、おもいは廻ってここに戻ります。

如来の作願をたずぬれば 苦悩の有情をすてずして 廻向を首としたまいて 大悲心をば成就せり

阿弥陀さまは煩悩仕立ての私を、本願企ての根拠に引きつけられます。願いの力、誓いの力の入れ所を、一から十まで流転の生命(いのち)、私にしぼられました。功徳の威力のありったけを、私の往生成仏、一つに集めて、ナンマンダ仏と今や成功されました。

これこそ廻向を首としたもうた、弥陀大悲実現のおいわれです。まさしくナンマンダ仏の中味は、初めから私の命がつめこまれます。弥陀大悲は私のことで満杯のお心です。

深川倫雄和上が折りふれ語られます。”阿弥陀さまを聞いた上からは、時々自分の体のどの部分でもいいから、両手で押さえてみて、この体阿弥陀さまがお宿り満ちていなさる体じゃと、自分に言い含めるがいいですよ”と、仰言います。

ご恩報謝のやり方、工夫をお導きくださいました。


藤岡 道夫