病むと言わば 寂しと言わば 吾娘は来む 122

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病むと言わば 寂しと言わば 吾娘は来む 病むとは告げじ 寂しと言わじ  (遠藤 千秋)

もし私が病気だと言い、寂しいとでも報(しら)せてやろうものなら娘のことですもの、必らずやきっと来てくれるにちがいない。無理に都合をつけてでも来てくれましょう。そうするにちがいないからこそ、私は少々の患ぐらい、報せはしません。ましてや寂しいなどと、娘の耳に入れるつもりはありません。そんな母の心の裡を詠む歌です。

朝日新聞歌壇のこの作者の他の歌によれば、五十年連れ添う主人があるという。ならば少なくとも七十前後になられよう老女であること、以前から見る作品で知れます。

女性には歳が幾つになろうと、女ならではの語らいがある。とり分け母と娘の間なら、終日語り暮れてなお疲れも覚えず、心のコリすらほぐれようというものです。母と娘の間なら見栄・外聞も気になりません。心くつろぐ暖々(ぬくぬく)とした思いがふくらみ満ちます。そこには命連なる心情の構造(しくみ)があるかと怪しまれるほど。

このこと歌の作者は能く承知しています。母と娘と共に肩に力を入れずに浸れるその語らいの楽しみ知ってます。しかし母たり、親たる身の業に、娘の身の事情が案じられます。立場が思いやられます。

娘は育ち盛り、学業半端の子供がいる。経済的に一番大変な時、また家庭を守るのに最も油断ならぬ時期。娘に無理はさせてはなりませぬ。理解(わか)っていてやりましょう。今は自ら患いの身を労り、寂しい思いも自分で胸の奥にしまいこんでおきましょう。

深々とした慈愛の念いがふくらみます。先意承問したまえる大悲はまた倦(ものうき)ことなく、常に照したもうと喜ばれます。


藤岡 道夫