添い寝して 背を撫で居れば 死に近い 57

出典: Book


朝日新聞に見た歌です。死期迫った母の命の際を添い臥して、歌の作者は、娘として最後の看取りをいたします。

主婦の身に張りついた家庭の仕事は、病人がいても休めません。家事と看護に疲れます。もう永くはない母親、いつ容態が変わるかわからない。離れた寝床に熟睡すれば、母の様子に気がつかぬかも知れない。

そこで今夜も添寝をします。体は小さくしぼみました。幼い子供を抱くありさまに、背をなでながら休みます。

ふと、髪のあたりにふれるものがあるのに気がついた。身じろぐことも、かぼそいほどの母の腕が動く。しきりに動く。よくみれば、この私の髪をなずる仕種に動きます。 おそらくは、意識もおぼろの胸の底から、幼い娘に添い寝した、若く母たりし日の、遠い記憶が立ち上っていて、自らなる仕種でありましょうか。あるいは、意識ありありと、有難う有難うよと、振舞うことでありましょうか。

深川倫雄和上の或る日のお話に”若い者は、とてもこの年寄りの世話などしやあしませんという者がある。こりや、自分が年寄りを嫌うて、世話せんかったもんで、大方、若い者(もん)は、自分に似とるだろう思うて、言うとることにちがいない。時間のゆとりがあるならば、如来さまと家族に、有難うございましたと、言うがよい。死ぬとき、礼も言はずに往く奴があるか”と、仰言る。

”弥陀大願の底意には、御恩を知るほどの者になれよのご期待がある。礼を言はねば救わんじゃないが、ご恩を最高至善とお育てのお心がある”と、聞かせて下さいます。


藤岡 道夫