怒ってくれて ありがとう みんなの法話

出典: Book


怒ってくれて ありがとう
本願寺新報2005(平成17)年7月20日号掲載
本山・布教研究専従職員苅屋 光影(かりや こうえい)
ほめられるとうれしい

「みなさん、怒られたことはありますか?怒られるのはいやですか?」

本山に卒園参拝した幼稚園児のみんなに問いかけました。

「ほめられるのはうれしいけれど、怒られるのはいやだよね。
私もそうです。
でも最近、怒られることって大事なのかなあと思います...」とお話しました。

それは、こんな出来事があったからです。

あるご門徒の家にお参りした時、若いご夫婦と小学校一年生の女の子で一緒におつとめをした後、法話をしていますと、女の子が突然、「わはは、わはは」と笑いはじめました。

「何かおもしろいことでも言った?」と聞くと、女の子は「どうして『怒ってくれてありがとう』なの?おかしいよ」と言うのです。
私は、ある男の子の「ありがとう」という詩を紹介したのですが、その中に「怒ってくれて ありがとう」という言葉があったのです。
それまで何とも思わず読んでいた私は、女の子の一言に「怒ってくれて」と「ありがとう」とは不自然だと驚かされました。

後でよく考えてみると、私も小学校で怒られた時は「ありがとう」とは全く思いませんでした。
でも時が経つにつれて、あの時、厳しく怒ってもらったからこそ、今の自分があると思うことがあります。
女の子は、私に大切なことを気付かせてくれました。

わるいのは自分なのに
私も小さい頃は悪さばかりして父や祖父にいつも怒られていました。
小学校三年生の時、どうしても欲しいおもちゃができたのですが、おこづかいでは買えません。
そこで「そうだ、お金を借りよう」と母の財布からこっそり拝借しました。
そして喜び勇んでおもちゃ屋さんに走りました。

町にはたくさんのおもちゃ屋さんがありますが、何を思ったか、ご門徒のおもちゃ屋さんに行ったのです。
私は顔を覚えていませんが、ご門徒はお寺の子だとすぐにわかります。
「お寺の坊ちゃんが一番大きなお札を持ってやって来た。
こりゃ大変だ」ということで、すぐにお寺の両親に通報されました。

そんなことも知らずに喜んで帰ってきた私は、すぐに待っていた両親につかまり、厳しく、怒られました。
その時は、自分が悪いにもかかわらず、電話をしたおもちゃ屋さんや怒った両親を恨みました。
おかしいですよね。
悪いことをしたのは私なのに。

あの時、きちんと電話して下さったご門徒、厳しく叱(しか)ってくれた親がいたからこそ今の自分があるのだと思います。
その出来事と今の自分を重ね合わせる時、心から素直に「怒ってくれて ありがとう」と感謝することができます。

幼稚園児のみんなには「怒ったお母さんの気持ちも考えてあげてくださいね」とお話しました。
お母さんの気持ちを考えることで、お母さんが子どもにかける「よい子に成長してほしい」という願いを聞いてほしかったからです。
同様にご門徒や父母が私に怒ったのも「どうか道を踏み外さず、お坊さんになってほしい」という願いがあったからでしょう。

罪の深さを知らす親心
実は、阿弥陀さまが「すべてのいのちあるものを必ずさとりの世界へ救い取る」と誓われたご本願には「唯除(ゆいじょ)(ただ除く)」というお言葉があります。

「すべてのいのちあるものを救い取る。
ただ、重罪を犯すものと、仏法をそしるものはのぞく」ということです。

この言葉を親鸞聖人は、阿弥陀さまのお慈悲の深さが示された大切なお言葉だと味わわれました。
「ただ除く」とは、そのような罪深いものにこそ、その罪の深さを知らせて救い取ろうという親心であるとお示しくださいました。

そこには、何とか悪に悪を重ねさせないように、そして仏道を踏み外さないようにと知らせてくださっている、お育ての厳しさがあります。

気がつけば阿弥陀さまに守られ、支えられ、育てられてある私が、いつも寄り添ってくださっていた阿弥陀さまのお慈悲の深さに出遇(あ)うとき、自然と感謝の心が芽生え、素直に「ありがとうございます」と言えるのです。
 



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/