念仏は苦悩を 避けるのではなく 乗り越える力
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『仏説観無量寿経』に次のように説かれています。
釈尊はさらに阿難と韋提希に仰せになった。 「そなたたちは、わたしのいうことをよく聞いて、深く思いをめぐらすがよい。わたしは今そなたたちのために、苦悩を除く教えを説き示そう。そなたたちはしっかりと心にとどめ、多くの人々のために説きひろめるがよい」
このお言葉の後、お釈迦様はイダイケ(韋提希)の苦しみを除くために、他力念仏の教えをお説きになります。この他力念仏の教えは、イダイケの苦悩の原因である彼女の子、悪王アジャセ(阿闍世)王の苦悩をも除きます。 母の苦悩は夫を殺した親殺しのアジャセを子に持ったことによるものであり、アジャセの苦悩は父を殺した後悔の念によるものです。苦悩の原因は別のものです。しかし、いずれも自分の苦しみにばかり心を奪われ、他人の苦しみに眼を向けることのない苦しみです。ところが、他力念仏はその両人の苦悩を除き、アジャセに次の言葉を言わしめる力となるのです。
「世尊、もしわたしが、間違いなく衆生のさまざまな悪い心を破ることができるなら、わたしは、常に無間地獄にあって、はかり知れない長い間、あらゆる人々のために苦悩を受けることになっても、それを苦しみとはいたしません」
これこそが、他力念仏のはたらきでありましょう。 自分のことしか考えない愚かものが本来の私の姿です。その私が本願のおいわれを聞き開き、南無阿弥陀仏のお救いに身をまかせ必ず仏にならせていただけるという喜びに満たされるとき、苦悩を乗り越える力が生じているのです。それは、如来の慈悲の心が私の心にとどいてくださっていることでもあります。したがって、アジャセのように、たとえ自らは地獄の苦しみを受けようとも、人々の欲望に満ちた心を打ち砕いてくださる他力念仏を伝えることができたなら全く後悔しないという大きな慈悲の心を持つことができるのです。
北塔 光昇(きたづか みつのり)
1949年、北海道生まれ。
本願寺派司教、旭川大学非常勤講師、北海道旭川市正光寺住職
本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載 ◎ホームページ用に体裁を変更しております。 ◎本文の著作権は作者本人に属しております。