夕暗みくれば まったく 見えぬ妻 77

出典: Book

夕暗み くればまったく 見えぬ妻
かたくわが手を 取りて歩むも

直方(のうがた)西村光次氏の歌。視力が衰えて、今はもう夕暮れになると、明暗の見分けもならぬ、その妻を詠む。歩みを始める時、妻の手は夫の手を探り、そして固く握る。にわかに不自由になった眼は、五歩十歩の距離がおぼつかない。一足前の物が見えず、足はとまどい心がおびえる。

もはや、千歩万歩はもとより、一歩をはこぶのに、確かにすがれるものがそこに要る。夫の掌がある。いや夫の方から、その掌が来た。しっかり掴む。いや掴まるように、夫の掌の方から添えられて来た。

すくんでいる妻の姿、心許なげな足許を見越して、探りくる妻の掌に先んじて、夫の手が当てがわれていく。

妻が望み、足先の向う所を、その折々に承知して、夫の足どりにためらいはない。指の強さ、たなごころの大きさはもとより、夫の掌から伝ってくる。足どりのまちがいのなさが、妻の胸に沁み入って、位置を占め、安らぎの思いが満ちてくる。

無明長夜の灯炬(とうこ)なり 智眼くらしと悲しむな
生死大海の船筏(せんばつ)なり 罪おもしとなげかざれ

親鸞聖人のご和讃です。恩愛のおもい深ければ、暮しにもつれは絶えず、罪は深い。生死・命の行方を知らぬこの身が、今、名号に遇い、弥陀のお慈悲を知りました。

罪の暮しを手探り、死の影におびえる命に来て、仏力・功徳力一ぱい、ナンマンダ仏が満ちて下さいます。生死の輪転(まよい)は終わった。今、もう罪の嘆きは要りませぬ。今日も来る日も、ナンマンダ仏の如来(おや)さまが、ごいっしょし続けて下さいました。


藤岡 道夫