便利屋の 君のいまわの 悲しかり 64

出典: Book


朝日新聞に見た歌です。便利屋の看板掲げて、頼まれごと、何でも引受け、こなして生きて来たあなたは、今、まさに息引きとろうとする。

見れば、胸の前で何やら、しきりに両手を動かし続ける。呼びかけにも応えようともしないのは、もう意識も混濁しようとする時なのか。それがあろうことか、胸の前の両手の仕草は、便利屋稼業とて頼まれる、家移り仕事に引受けた、荷物くくり、あるいはほどいているのか、そんな仕草を繰り返す。なんと、男の息の切れ際の、悲しくもむなしい仕草だろうか。臨終のこの期に及んでやる事が、荷造り、荷ほどきの仕草とは。

男は、所帯を荷う。妻や子を伴うて、全身で引受けた男の責任。実直に仕事に生き、誠実に便利屋を生きたあかしの仕草をしつつ、命終わる。命に、実るもの一つもなく終る。

この命、見過しならぬ、この命、捨て置かれようかと、ナンマンダ仏と来てくださいました。親さまがもうごいっしょして下さいます。”不可称不可説不可思議の、功徳は行者の身に満てり”と、親鸞さまがおっしゃいます。

深川倫雄和上が”世間の人は、苦しまずに息が切れるのを、いい往生という。これは、苦しんで死ぬ人を、悪い往生とする、差別であって、これはよくないことです”と、聞かせて下さいます。

呼吸困難の苦しみや、病気次第では、激しい痛みもありもしょうが、これは肉体、生理の上のこと。たとえ畳かきむしってもがく命の中にすら、ナンマンダ仏の親さまが、同居してご一緒、離れずいてくださいます。


藤岡 道夫