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七十八 愚痴の妙薬 「浅原 才市」

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法悦百景 深川倫雄和上

六十一 愛語 「道元禅師」
六十二 聞き場 「浅原 才市」
六十三 煩悩の過去 「九条 武子」
六十四 御報謝 「句仏上人」
六十五 無常の愛 「外村 繁」
六十六 甘受の法悦 「浅原 才市」
六十七 タノム 「宇右エ門」
六十八 汝を捨てず 「九条 武子」
六十九 おらあ とろいだで 「足利 源左」
七十 非常識 「臼杵 祖山」
七十一 罪の沙汰無益 「法然上人」
七十二 他力の信心 「憶念寺 良雄」
七十三 割れた尺八 「報専坊 慧雲」
七十四 うその皮 「浅原 才市」
七十五 心の豊満 「九条 武子」
七十六 中ぐらい 「小林 一茶」
七十七 亡き子は知識 「高楠 順次郎」
七十八 愚痴の妙薬 「浅原 才市」
七十九 恕しこそ救い 「聖徳太子」
八十 鑑真和上 「松尾 芭蕉」
ウィキポータル 法悦百景

ぐちがをきたら ねんぶつ もをせ
ぐちの明やく なむあみだぶつ

はらがたうたら ねんぶつ もうせ
ぶつは ひのての みずとなる
なむあみだぶつ
          (浅原 才市)

言う

 才市の信境は、私にとって遥かに遠い。極く深い信仰の人々は遂に信仰あさき者と外観が似てくるのであろうか。他力の信心を内心深くたくわえて、外相にその色をみせずということは、芝居せよ、とうのではない。そうなる、ということである。

 愚痴の妙薬はお称名だ。腹立ちの火がもえたら、お称名の水で消せなどということを、中くらいの寺参りや、聞きかじりの老人が人に言うて聞かせるのをきく。

 言って聞かせる形で、真宗を手に持って、言うことが真宗だとしている。手に持って居、口に持って居る程度である。お説教でも刷りものでも、そのような生活指導の言い方が喜ばれる。才市の信境は、もっと法悦が深いようだ。

讃(ほ)める

 ぐちの妙薬だから、称えなさい、というのではなくて、称えると愚痴の心がはれるとは、お称名はすばらしい、と讃えているのである。怒りの火を消す水の役を果すお称名をほめている。

 生活態度の表面を正すのが、真宗ではない。聞く一つである。生活態度の心の本が育てられる。行いと言葉の背後に、世間があるか、如来があるかである。

(昭和四十二年三月)