わが父の かたみの合着 99

出典: Book

わが父の かたみの合着 今日は着ぬ
ポケットごとに 爪楊枝あり  (清水 房雄)

作者の父親が死んだ。相似ること多いが父と息子。父親の相服もまた、背格好の似た作者の体によく合います。袖を通した上着のポケットに何気なく入れた指先にふれた爪楊枝。ハンカチを入れればそこに。財布を入れればそこにも爪楊枝。探ってみれば、どのポケットにも爪楊枝がひそんでいます。

出勤のため家を出る折り、銜(くわ)えたものを捨てずに入れる。街の食堂のテーブル離れ際、つまんだその一本もポケットへ。青年期の者に爪楊枝は要りません。物食べるごとに爪楊枝欠かせなかった父は、まぎれもない老人だったのか。弱りもし衰えもしていたんだなあと、思いもうけぬところから、在りし日の父を偲ぶ歌であります。

平成元年の今年、私は数え年、五十八歳。老眼鏡なしでは新聞が読めず、差し歯もし、また部分入れ歯もしています。私の父は数え五十八で往生遂げています。今私はこの年です。父が最後の年、その体、その心に現れた衰弱は、如実にこの身に現れています。正しく加速していましょう。老年期に入ることは、肉体的にも精神的にも”弱者となる”こと、避けられません。

このこと、かねて如来の説き聞かさるる生死(しょうじ)・無常の道理(ことわり)の相(すがた)です。如来(おや)さまの無量のみ光に照らされて、剰すことなく見出された、命生死の断面の相です。

この無常、生死の命に来て、ナンマンダブツとご一緒の如来(おや)さまがある。光明てらしてたえざれば 不断光仏となずけたり、と親鸞さまが詠われました。ナマンダブ ナマンダブ。


藤岡 道夫