また会える いま会える みんなの法話

出典: Book


また会える いま会える
本願寺新報2005(平成17)年3月10日号掲載
島根(温泉津)・西楽寺住職  菅原 昭生(すがわら しょうせい)
ウチのとうちゃん何処

むかしむかし、ある所に一人のおばあさんがいました。
おばあさんは、まだ子どもが幼かった時に、連れ合いに先立たれました。
しかし、そのことがご縁となってお寺にお参りするようになり、お念仏の教えに出遇(あ)われました。

「そうか。
とうちゃんとはこの世限りのご縁じゃなかった。
やがてまたお浄土で必ず会わせていただける。
そして今も、ナンマンダブ、ナンマンダブのお念仏とともに私のところへかえってきてくれている...」と、お念仏の日暮しを送って一生を終えました。

お浄土に生まれたおばあさんはすぐに、なつかしいご主人を捜します。
しかし、ご主人の姿はどこにも見当たりません。

「あれ、ウチのとうちゃんは、どこにいるのだろう...。
また会えると聞かせてもろうていたのに...」

ちょうどその時、阿弥陀さまが近くを通りかかられました。
おばあさんは、矢も楯(たて)もたまらず駆け寄ってたずねます。

「あのぉ、ウチのとうちゃんは、どこにいるのでしょうか?」

その問いかけに阿弥陀さまは、にっこりとほほ笑んでおっしゃいました。

「ばあさんや、あれはね、ワタシだったんだよ」と。

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こんなお話を近所の先輩住職さんがして下さいました。

さて、これはいったい、どういうことでしょう?

「ウチのとうちゃんが阿弥陀さまだった」ということは、「阿弥陀さまがウチのとうちゃんという姿となってはたらいてくださっていた」ということになりますね。

先立つ子が仏道に導く
その昔、平安時代の女流歌人・和泉式部は愛(まな)娘に先立たれています。
彼女は、その時の気持ちを古歌に託して「子は死にて たどり行くらん死出の旅 道知れぬとて帰りこよかし」と嘆いたといいます。
まさに亡き子を思い、心配する親心いっぱいの歌です。

ところが、その和泉式部が仏さまの教えに出遇って、歌が変わります。

「夢の世に あだにはかなき身を知れと 教えて帰る子は知識なり」と。
知識とは、仏教語で「真実の仏道に導いて下さる方」という意味です。

つまり、先立ったわが子が自分のいのちをかけて、「母さん、これでもわからないの? いつ終わるかわからないのが、命なのですよ。
必ず迎えなければならない死があるのです。
だからこそ、大切に生きて下さい...」と教えて仏の国へ帰っていった...と詠(よ)んだのです。

よその子が死んでも他人事にしか思わない私のために、今あの子は「私の子として生まれ育ち、先立って真実を教え知らせようとしてくれた仏さまだった」といただかれたのです。

「ウチのとうちゃん」も、おばあさんのご主人として連れ添い、苦楽を共にした日々を経て先立ち、おばあさんを念仏の教えに遇わせて浄土へと導いて下さった、おばあさんにとっての仏さまだったのです。
「よそのとうちゃん」なら、こうはいきません。

我れ以外皆 我が師なり
今、このことを浄土に往生した後ではなく、生かされているこの時に聞かされたことに意味があるのだと私は思います。

阿弥陀さまは南無阿弥陀仏のおよび声となって、そして時にはさまざまな人や菩薩となって、苦悩の衆生を救って下さいます。
それは私にとって、やさしい姿であることもあれば、厳しい姿であったりします。
あるいは「憎まれ役」になってこの私を真実に導き育てて下さることもあるでしょう。

『親鸞』の小説で名高い作家の吉川英治氏は、「我れ以外、皆、我が師なり」と言われたそうですが、お念仏申す人生では「我れ以外、みな我が菩薩なり」といただくことができるでしょう。

亡き人をご縁に仏法に遇うとき、また会える世界があることを知らされます。
いや、「すでに出会っていた」のでした。
そして今、南無阿弥陀仏の念仏の中に私と一緒に歩んで下さっているのです。

やがて、人生の幕が降り、浄土へ往生させていただいたとき、あの言葉を聞かせていただくのでしょう。

「あれはね、ワタシだったのですよ」と。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/