ふくらみし 真綿の如く あたたかき 123

出典: Book


ふくらみし 真綿の如く あたたかき 母の声きく 受話器の中に  (高知 結城 多良子)

結婚して女性はおおむね生まれた家を離れます。新しい家での生活は、なみなみならぬ緊張した思いで始められましょう。かかってくる電話に出ること一つにも、身構えた声の響を帯びています。

電話のベルが鳴る。取りあげた受話器に伝わり聞こえくる声。途端にひきしめていた気持ちがゆるむ。身構えた力がほぐれてきます。母さんの声。そうお母さんの声です。用向きは些細な事。その実、娘を案じて掛けて来たデンワ。

ふくらみし 真綿の如く あたたかき 母の声きく 受話器の中に

なるべくこちらの言葉は端折って、そのお母さんの声音・ぬくもりに浸っていたい。これはそんな光景が思い浮かぶ。朝日新聞歌壇の歌であります。

人は産声をあげる前、その母の胎内にある中から、母親の声を聞いて成長するという。赤ちゃんはまったく見知らぬ世界に出ました。天地の間に何一つ承知しているものはありません。

生命(いのち)に群がり聞えてくる音響・声の中に唯一つ、母の声のみ識別するといいます。母の胎内で育つその間中・聞え続けてふくまれたその声一つ、生命(いのち)に承知しているのです。

弥陀成仏のこのかたは いまに十劫とときたれど 塵点久遠劫よりも 久しき仏と見えたもう

この私の認識・知覚に先立って、ナンマンダ仏のおん名告り。生死(まよい)の命にふくむよう、声のすがたに現われて、久しき如来(おや)のお呼び声・ナンマンダ仏と聞えます。


藤岡 道夫