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この世に生命(いのち)ある者は 124

提供: Book

この世に生命(いのち)ある者は、おおむね日に三度の食事をして、命を繋ぎます。一・二食抜いたからとて死にはしませんが、とにかく食べます。ましてや今、グルメ、美食・飽食の時代だといいます。

身内に人が死んだ。火葬場の炉に遺体を納めて火がはいります。お骨を拾うまでにはしばらく間があって、遺族をはじめいささかの縁に連なる人々数十人、待合室にたむろして待ちます。

丁度、時分どき、昼食が出されました。別棟とはいえ傍らの炉の火は、音をたてて燃える時、片やここにはいまだ命永らえて、世にある者の生の営みは終りません。盛大に食事はすすみます。

食欲があるのは遠縁の者だけだはありません。死者が患うている間、ひたすら看病にあけくれ、食事も疎かだった遺族・家族すら、今は食欲が戻っています。

炉の中に 焼かるる死者の 隣室に
生ある者は 飲食(おんじき)をする

朝日新聞歌壇のこの歌は、死せる者と生ある者との厳とした隔絶を現わします。

今生の別れに涙し、泣きながら食欲だけはある。哀しいまでの命世界です。大無量寿経に聞きます。

人は恩愛の情を絆に、世に生きていても、つまるところ独り生まれ独り死にゆくもの。この孤独の命を的にした阿弥陀さまのお慈悲は成ったと説かれます。

今やここに、この孤独の命にナンマンダブツの如来(おや)さまが来てくださいました。ナマンダ仏 ナンマンダ仏、放っておきはしない、独りにしてはおかぬとおいで下さっています。孤独じゃありません。独りじゃありません。


藤岡 道夫