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いま聞き いま うなずき いま念仏申す

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阿弥陀如来

 『仏説観無量寿経』では、お釈迦様がご説法のまとめとして、イダイケ(韋提希)に念仏をお勧めなさいます。  そなたはこのことをしっかりと心にとどめるがよい。このことを心にとどめよというのは、すなわち無量寿仏の名を心にとどめよということである。 『浄土三部経(現代語版)』214ページ

 そして、この教えを聞いてイダイケは大いに喜んだとあります。

 無量寿仏(阿弥陀仏)の名を心にとどめるというのは、もちろん、他力のお救いにおまかせし念仏申すということです。それはいつでしょうか。死ぬ間際のことでしょうか。それとも、今なのでしょうか。

 私たちは、自分の死はまだ先のことと思って生きています。ですから、予定を立てるのです。これは自然なことですが、現実的ではないのです。現実的に言えば、今が死ぬ間際なのです。しかし、その現実に真剣に向き合って生きている人は非常に少ないといえます。また、その現実に向き合って不安を覚えない人はめったにいないことでしょう。死ぬことに対する不安は万人に共通のものと思われます。ですから、なるべく死ぬことは考えないようにしています。

 なぜ死ぬことが不安なのでしょうか。それは、一度も経験をしたことがないことが大きな理由と思われます。また、生前に手に入れていたものをすべて失うことに対する恐れがあるかもしれません。加えて、罪作りな生き方の報いを考えるととても死にたくはありません。それらに対する不安がすべて取り除かれたら飛び上がるほどにうれしいことでしょう。それでは、南無阿弥陀仏のお救いにおまかせし浄土に往生することが間違いないと知らされたら不安がなくなるのでしょうか。そのことに対して親鸞聖人にお弟子の唯円がお尋ねをします。その答えが『歎異抄』の次のお言葉です。 また、浄土にはやく往生したいという心がおこらず、少しでも病気にかかると、死ぬのではないだろうかと心細く思われるのも、煩悩のしわざです。(中略)はやく往生したいという心のないわたしどもを、阿弥陀仏はことのほかあわれに思ってくださるのです。このようなわけであるからこそ、大いなる慈悲の心でおこされた本願はますますたのもしく、往生は間違いないと思います。 『歎異抄(現代語版)』15~16ページ

北塔 光昇(きたづか みつのり) 1949年、北海道生まれ。 本願寺派司教、旭川大学非常勤講師、北海道旭川市正光寺住職。