いのちの存在の意味 みんなの法話
出典: Book
いのちの存在の意味
本願寺新報2000(平成12)年11月10日号掲載
田代 俊孝(たしろ しゅんこう)(同朋大学教授)
"死にたい、死にたい"
え.秋元 裕美子
少し前、私のかかわっている「老いと病のための心の相談室」の会議で、寝たきりの方の所へ訪問しているボランティアからこんな問題提起がありました。
「私の訪問先のおばあちゃんは、いつも『死にたい、死にたい』といわれます。
はじめは、周囲の注目を引くために、そうおっしゃっているのかと思っていました。
しかし、よく聞いてみると違いました。
『私は、寝たきりになって、家族のためにも、世間のためにも、ちっとも間に合わなくなりました。
最近は、息子には邪魔者扱いにされ、息子の嫁からも鬱陶(うっとう)しい目で見られるのですよ。
さらに、孫にまで馬鹿にされるのですよ。
わたしの生きている意味はどこにもありません。
はやく、死にたい』といわれます。
どう対応したらいいでしょうか」というものでした。
この方は「役に立つ、立たない」というものさしで、いのちを計り、自分は役に立たないからダメだと落ち込み、生きる意味を見失っています。
また、周囲の息子たちもそのものさしを絶対視し、役に立たない者はダメだと、人を裁いています。
役に立たない者は、生きる価値がないのでしょうか?
モノ化される命
今は社会すべてでこんな価値観が絶対視されています。
会社では、リストラとか合理化といって役に立たない者は、切り捨てられていきます。
経済の論理が人間のいのちにまで当てはめられています。
もうけを第一にする経済社会はともかく、人間存在そのものまでがそう考えられていることには、大きな問題を感じます。
まさに、現代社会では、いのちがモノ化されています。
このような考え方は、やがて、優生主義といって、優れた物だけを残して、劣った者は排除してしまうということに陥ってしまいます。
遺伝子の組み換えもそうです。
かつて、ドイツのナチスは、この考え方で、「価値なき生命の毀滅」といって障害をもった人たちを大量虐殺(ぎゃくさつ)しました。
「役に立つ、立たない」というものさしで人を裁いて、私たちも同じ事を、今の社会の中で無意識のうちにやっているのではないでしょうか。
人は、一つのものさしだけではかれるものではありません。
たとえば、子どもに対して、ついついわれわれは学校の通知簿の評価を絶対視します。
しかし、通知簿が1でも、とってもやさしい子もいますし、人付き合いがうまく、社会感覚のある子もいます。
人には、さまざまな見方と能力があります。
何が良くて、何が悪いのか、わかりません。
私たちは、自分の都合で善悪をいっているだけです。
仏さまの眼差し
親鸞聖人は、『歎異抄』で「善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり」とおっしゃられ、重ねて「火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」(853頁)とおっしゃっています。
つまり、仏さまの眼でみれば、何が善で、悪かわかりませんよ。
人間の勝手な都合で善し悪しを決めてもダメです。
人間のすることは、すべて、うそと偽りに満ち満ちています。
そういう、私であると気付かせてくれるのが仏さまです。
だから、仏さま、すなわち、お念仏だけが真実ですよ、と教えてくださいます。
そして、「正像末和讃」では、「善悪の字しりがほは おほそらごとのかたちなり」(622頁)と、いわれます。
善し悪しを決めている私たちは本(ほん)ま物ではありませんよ、とおっしゃられます。
仏さまの眼でみれば、人には、さまざまな見方や価値があります。
たとえ、寝たきりであっても、価値があり、意味があります。
いてくれるだけでいいと思うこともあるだろうし、また、たとえ、寝たきりであっても、周囲の有頂天になっている息子たちに、人は老いて病んで死に逝く身であるという人生の厳粛なる事実を教えてやっているということもあります。
人は存在そのものに意味があるのです。
こざかしく人間の思いではかれるものではありません。
寝たきりであっても、意味があるのですから、堂々と寝たきりになっておればいいのです。
何も卑下することはいりません。
お念仏による目覚め
今、多い幼児虐待(ぎゃくたい)の場合でも、同じようなことに起因している場合があります。
母親が、母子手帳の成長曲線を絶対視し、それとわが子を比較し、とらわれているのです。
赤ちゃんの成長がそのグラフから少しでも低いと、むりやりお乳をやったり、運動させたりします。
本人は、子どものために一生懸命やっているつもりですが、周りからみれば虐待です。
ものさしにとらわれて、一種の自閉的世界にはまり込んでいるのです。
このように、はまっていることに気付かせてくれるものが智慧の念仏です。
いのちが傷つけられている今こそ、勝手な善し悪しのとらわれを離れ、いのちの存在の大きさに目覚めなければなりません。
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出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |
