〝あー もう〟 みんなの法話

出典: Book


〝あー もう〟
本願寺新報2002(平成14)年2月1日号掲載
甲斐 幸舟(かい こうしゅう)布教使(長崎)
歩き始めた花ちゃん

え.秋元 裕美子
「こんにちはぁ~!」

毎日お昼頃になると、お寺の玄関に元気な声が響きわたります。
身長八七センチ、体重一一キロ、天下無敵の二歳児・花ちゃんの登場です。
これから夕方までの数時間、わが家は父も母も私も連れあいも、みんながすべて花ちゃんを中心に回ります。

歩き始めた花ちゃんは、目を離すとすぐにいなくなります。
専用の小さな机とイスに座って、ご機嫌にお絵かきしていたかと思うと、玄関に向かって一人で階段を降りようとしていたり...。
姿が見えなくなると、それこそ家族総出で本堂はじめ家中を探し回ります。
予測不能、大胆不敵な笑みを浮かべながら、花ちゃんは今日もわが家にやってきました。

花ちゃんは、私の妹の長女です。
妹のお義父(とう)さんがリハビリのため通院されていて、妹はそれに付き添っていくため、幼い花ちゃんを実家であるわが家に預けていくことになったのです。

花ちゃんは、最近いろんな言葉をしゃべるようになりました。
「じーたん、ばーたん」「ありがとあした」とか、誰彼かまわず「おねえちゃん」と呼び、困ったことがあると「けっこうでしゅ」。
どこで覚えてくるのでしょうか。
最近の口癖はなんと「あーもう!」です。
解読不能な絵を描きながら「あーもう」。
チョコレートを口いっぱいにほおばりながら「あーもう」。
私が法務から戻ると、玄関先で「あーもう」と言いながら出迎えてくれます。

思い通りにならない
覚えたての言葉「あーもう」と何度も口にする花ちゃんの姿を微笑(ほほえ)ましく見ているうちにふと考えました。
私が毎日生活している中で、「あーもう」と何度口にし、何度そういう思いを抱くだろうか? あーもう腹が立つ、あーもう面倒くさい、あーもう、もっとお金があったら、あーもう膝(ひざ)が痛い、あーもう病気がちっともよくならん......。

思い通りにならない人間関係の悩み、仕事の悩み、いろんなことにぶつかるたびに「あーもう」と言っているのがこの私です。
もちろん花ちゃんは意味もわからず、ただ覚えたての言葉を言いたくて言っているだけのことかもしれません。
いやわかっているのかも? 人生は自分の都合よく思い通りにいかず「あーもう」と言いながら生きてゆかねばならないということを。

人はオギャアと生まれて、いつかそのいのちをたった一人で終えていかなければなりません。
平均寿命は延びたといっても、それが私のいのちの長さではありません。

蓮如上人は「されば朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり」(註釈版聖典・千203頁)と言われました。
私も花ちゃんも、そしてすべてのいのちがいつ尽きるとも知れないで今あるのです。

誰にも代わってもらえないいのちを、いつ尽きるとも知れないいのちを「あーもう」と言いながら、グチや自分勝手なお願いを叶えてくれそうな所を探し求めて生きていくのでしょうか。
一つ叶えばまた一つ、グチやお願いはなくなるどころかますます多く深くなっていくことでしょう。

大いなるいのち、たくさんのいのち、たくさんの人々に支えられながら生かされていることに気付かず、感謝することもなく背を向けた私。
「あーもう」と言いながら人や物に当たり散らしながら生きているそんな私をほっておけない仏さまが阿弥陀さまです。

共に願われたいのち
親鸞聖人は「煩悩、眼(まなこ)を障(さ)へて見たてまつらずといへども、大悲、倦(ものう)きことなくしてつねにわれを照らしたまふといへり」(同207頁)と教えて下さいました。
「あーもう」とグチや自分勝手な願いを振りまいて、振り回されて生きている私を、阿弥陀さまは常にあたたかく照らし包んでいて下さっています。
大いなる悲しみをもってこの私をあわれみいたんで、ほっとけないと今ここに私の口から「南無阿弥陀仏」とこぼれて下さるのです。
「ここにいるよ、ここにいるよ」と。

「あーもう」と言いながら生きている私に、「救わずにおれない」と阿弥陀さまは立ち上がり、名告(なの)りをあげて下さいました。
「必ず救う」と。
阿弥陀さまに願われ包まれていたこのいのち、なるべく「あーもう」と言わずに生きていきたいものです。

しかし!これからも私は事あるごとに「あーもう」と言うでしょう。
そしてそこにこそ届けられている阿弥陀さまの願いを、そのたびにきかせていただくのです。

南無阿弥陀仏のお救いは、この私を離れてはありません。
そしてそれは過去や未来の私ではなく、今ここにいる私以外にありません。
阿弥陀さまの「必ず救う」とのおよび声にまかせて生きる以外にない私であったと気付かせていただく時、有り難うございますと自然に頭が下がり、手が合わさるのでしょう。
共に願われたいのち、お念仏に包まれた人生を力強く歩ませていただきましょう。

花ちゃんは、今日も見よう見まねでお仏壇の前に座って手を合わせてつぶやいています。
「あーもう! なーまーだぁ」って。


 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/